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#10 運命の場所

ニューヨーク市立図書館と42nd Streetの角をまがった先で、あたしがたどりついた場所。

そこは、公園だった。

車と人がひっきりなしに行き交う大通りから公園を眺める。

うっそうと茂る緑の木々。ときおり軽やかに、十月の初めの風に枝葉を揺らしている。

よく手入れされた芝生のスクエアで、人々が思い思いにくつろいでいる。

寝転んで本を読む人。ヨガマットを広げて、「鳥のポーズ」をする人。ギターをつまびいて歌う人。それに聞き入る人。

そのスクエアをぐるりと囲む、ニューヨークの摩天楼。

エンパイア・ステート・ビルが、凛として青一直線に立っている。そのせいで秋の空は、いっそう高く青く、広々と見える。

芝生のスクエアの手前はプラタナスの並木道。その木陰で人々が、緑色の木のイスをあちこちに並べて、やっぱり思い思いに時間を過ごしている。

ラップトップコンピュータとにらめっこするビジネスマン。
コーヒーを片手に談笑するお母さんたち。
その周りではしゃぐ子供たち。
居眠りをする清掃のおじさん。
肩を寄せ合う恋人同士。
スケッチに熱中する美学生。

なんだろう。なんだか、すごく涼しい、やわらかい、あったかい。
いろんな国の、いろんな職業の、いろんな世代の人々が、ここには集まっている。

それぞれに、知らない同士。
それなのに、ほのかに漂う親近感。
自分の世界を楽しみながら、ほかの人の世界を尊重しているような。

誰もがこの場所が作りだす磁力に、心地よく身をゆだねているような。

同じリズムで揺れている、野原の名もない花のような。

たぶん、マンハッタンのなかではありふれた風景なんだろう。
それでいて、世界中でここにしかない風景なんだ。

あたしには、そう思えた。

あたしは、この完璧な絵のなかへ入っていくことを、ほんの少しためらった。

もしかして、あたしが入っていくことで、このすばらしい雰囲気が壊れてしまうんじゃないか。

そんなふうに思わせるくらい、泣きたいほどに美しい風景だったのだ。

ふと、大通りに続く階段の近くのイスに座っていた若い女性と目が合った。彼女はちょうどラップトップをたたんで、立ち上がるところだった。
あたしとあわせた目は、そのままごく自然に微笑んだ。

どうしたの? 入っておいでよ。

まるでそう語りかけてるみたいに。

あたしは彼女の微笑に勇気づけられて、公園の中へ足を踏み入れた。

一歩、また一歩。ゆっくりと歩くにつれて、木漏れ日があたしの身体の上で波打ち際の泡みたいにきらめいている。
その透き通ったあたたかな光に、あたしは不思議な感情で少しずつ満たされていく。

ああ、生きてるっていいな。
こうして歩いて、見て、聞いて、感じて。
いいな、いいな。すてきだな。

静かに静かに、あたしは興奮していた。

世界が自分に向かって凝縮してくるのを、体中で受け止めていた。

「ベーグル・サムのベーグル。ベーグルはいかがかね」

まるでブルースでも歌うような大きなよく通る声。あたしは顔を上げて目をこらした。

大きな黒人の男性が立っている。首から紐で吊るした大きなボックスに、たくさんのパンが並んでいるのが見える。

『ベーグル・サム 世界一のベーグル』

箱には赤い文字の英語が、リズミカルに書かれてあった。

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コメント

原田マハ 様

はじめまして。
ぽとすと申します。
私も素人ながら、趣味で小説を書いています。

公園の描写すごくきれいで、頭の中に情景が浮かびました。
まだ、#10の運命の場所までしか読んでいませんが、ここの公園のシーンはとても気に入りました。
人々の温かさと、自然の美しさがバランスよく存在する公園なんでしょうね。
公園に吹いている心地いい風を感じたような心境になりました。

また、自分に何か自信を持てない主人公「あたし」が、公園に足を踏み入れるきっかけとなった、若い女性もいいですね。
女性は、軽い挨拶のつもりで笑顔になったんでしょうけど、主人公にははいっておいでよ、に見えたのかな、と思いました。

新たな黒人男性の登場で続きが気になりますが、続きはまた今度読ませてもらいます。
ありがとうございました。

投稿: ぽとす | 2008年5月28日 (水) 14時41分

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