#51 いない?!
そうして、あたしは、とうとうやってきた。
ブライアント・パークに。
アンドリューの会社を抜け出して、表通りに走り出る。
春まだ浅い街角には、ときおり冷たい風が吹きぬける。
ちょうどランチタイムを迎えたストリートと、その向こうにあるブライアント・パークでは、人々が賑やかに行き交っている。
コートの襟を立てたビジネスマン。
マフラーをぐるぐる巻きにした学生。
ベビーカーを押すベビーシッター。
どこからともなく、焼きたてのベーグルのにおいがする。
ああ、帰ってきたんだ。
この場所に。
痛いくらいに胸を高鳴らせて、あたしはシグナルが変わるのを待つ。ニューヨーカーは、信号が赤でも車が来てなけりゃがんがん渡ってしまうんだけど、そこは日本人の性というか美徳で、ぐっと待つ。
青になるまで。5、4、3、2、1。
若々しい芽吹きの木々に向かって、一目散に走っていく。
あの楡の木の下に、ベーグル・サムがいるんだ。
まるで大好きな恋人に会いに行くみたいに、息を切らせてあたしは走った。
サムに最初にあったら、なんて言おう。
元気ですか? またお会いできてうれしいです。私の名前はナツキです・・・・・・
ってそれじゃまるで中学生英語だな。
サム。あなたと初めて会ったときから、あなたが私の目標になりました。
あなたの作るベーグルが、私の世界を変えてしまった。
少しでも、あなたに追いつきたい。あなたのような、ベーグル職人になりたい。
そう願って、私、ここまで来ました。
日本から、アメリカまで。
東京から、ニューヨークまで。
代官山から、ブライアントパークまで。
だから・・・・・・
あたしは足を止めた。
このまえここに来たとき、確かにサムが立っていた楡の木の下。
そこに、サムはいなかった。
壊れそうにはかない早春の陽だまりと、ときおり頬を撫でる冷たい風。
ベーグル、ベーグル! 世界一のベーグルだよ!
陽気な声を張り上げて、サムがいるはずだった場所には、学生らしきメガネの女の子が緑のウッドチェアに座っていた。膝の上に分厚い本を広げて、ハンバーガーをかじっている。
あたしは思わず彼女のところへ駆け寄った。
じっと見下ろすあたしの視線に気づいて、女の子がそばかすだらけの顔を上げた。
あたしと目が合うと、「ハーイ」と笑いかけてくる。
「あの、すみません。サムは、・・・・・・ベーグル・サムは、どこにいるんですか?」
あたしは、しどろもどろながら、なんとか英語で話しかけた。彼女は首をかしげると、
「ベーグル・サム? 誰? 知らないわ」
そう答えた。
え・・・・・・・・・・・・
あたしは一瞬、頭の中が真っ白になった。
「う、嘘でしょ。あんな超有名人を知らないなんて・・・・・・あなた、ニューヨーカーじゃないよね?! カントリーガールだよね??!!」
あたしは赤の他人の彼女に、日本人の美徳完全無視でいきなり詰め寄ってしまった。
あたしにとってベーグル・サムはマイケル・ジャクソンと同等かそれ以上に有名人なのにっ。
もちろん、彼女はドン引きだった。「知らないわよ。変な子!」とひと言残して、足早にその場を去ってしまった。
ニューヨークに着いていきなりアメリカ人をドン引きさせてしまった。
が、いまはそれどころじゃない。あたしは焦った。
どこ行っちゃったの、サム??!!
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