#60 魅惑のパン
ブルックリン、深夜の高級アパートの一室を満たすやきそばの香り。
アンドリューの車に乗せっぱなしだった材料を持ってきてもらって、やきそばパンを作り始めたのは深夜1時。ニューヨーク男子たちは、辛抱強く完成を待っていた。
「おお・・・・・・これは。まさに私が求めていた匂いだ。ああ、我慢できない!」
ようやく焼き上がったやきそばパンをトレイにのせてテーブルへ運ぶ先へ、アンドリューの手が伸びた。がばっとつかむと、すばやく口に突っ込む。そのまま、むっしゃむっしゃと食べている。
ちょ・・・・・・ちょっとお下品ですわよ、王子。
「おっ、なんだよまたヌケガケか? おれもおれも」
松井も横から手を出した。で、がっつがっつ。
食べ終わるまで、ほんの15秒くらい。ふたり一緒に、拳を天井に突き上げた。
「うんめえ~~~~~っっっ!!!!!!」
体育会系男子校生かこのふたりは?!
「What a great one! ナツキ、どうやったらこんなにおいしいパンを作れるんだい?」
会話の一部にようやく英語を混ぜながら(この王子、ホントのところ英語がしゃべれないんじゃないかとあたしは疑い始めていた)、アンドリューが興奮さめやらぬ様子で言った。
「いやその、別に・・・・・・コッペパンを縦に切ってヤキソバ入れただけですけど」
ごくあたりまえな返事をしたが、男子校生たちは聞いちゃいない。
「ああ、なつかしすぎて泣けてくるよ。これを毎日毎日、部活のあとに食ったもんだ」と松井、感極まってる。泣きだす一歩手前くらいだ。
「このソバのユルすぎないアルデンテな感じ。でもって、キャベツと豚肉の絶妙な配分。ソースの甘辛加減。ひかえめな大和なでしこのような紅ショウガ・・・・・・ナツキ、君は天才だ」と、どこぞのソムリエのような深遠な表現のアンドリュー。
「ヤキソバは母が作って、パン生地は父が作ってくれたのを持ってきて焼いただけだから、あたしはなんにも・・・・・・」
正直に告白しておいた。だって言っとかないと「あと100個作れ」くらい平気で言い出しそうなんだもん。
「この味をニューヨークで再現したくて、チャイニーズデリで売ってるやきそばまがいの“フライド・ヌードル”を、ホットドック用のパンにのっけて食べたりしたっけなあ。ぜんぜん、別モンだったけど」
松井はまだノスタルジーに浸っている。
全部で8個作ったパンを、ふたりは10分以内に平らげてしまった。
「君のご両親はベーカリーをやっているの?」
食後のコーヒーを飲みながら、アンドリューが尋ねた。
あたしは肩をすくめた。
「20年以上やってたんだけど。去年、店を閉めちゃった」
アンドリューは意外そうな顔つきになった。
「なぜ? こんなにグレートなパンを売っているなら、ベストセラーショップだったんだろ?」
「田舎の名もない小さなパン屋だよ。代官山のおしゃれなベーカリーじゃないもん。一個150円のパンをこつこつ作ってるパン屋なんて、日本にはたくさんあるし、特別な店じゃない」
そうなのだ。
父も母も、パンを作ることだけに一生懸命で、経営がどうとか資本がどうとか、そんなことにはまったく執着しなかった。
大型チェーン店の資本や機動力には、どうしたってかなわない。そうやってつぶれていく小さくて良心的なパン屋さんは、きっと日本に数え切れないほどあるんだろう。
話しながら、あたしはまた、ベーグル・サムのことを思い出した。
そうか、と急に納得した。
あたしが最初からサムに親しみを感じたのは・・・・・・
似てるんだ。お父さんに。
アンドリューは黙って聞いていたが、やがて青い瞳をもう一度きらりと光らせて言った。
「わかった。私に名案がある」
あたしはアンドリューを見た。松井はコーヒーカップを持つ手をぴたりと止めた。
アンドリューは口もとに勝ち誇ったような笑みを浮かべて、高らかに言い放った。
「『水戸一』、私が買った!」
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コメント
あ・・・あたしも その焼きそばパンを 生唾ごくりで 食べたくなりました|ョ'ェ';)ジー・・・。
妄想がァァァァァ!!!!
投稿 こと。 | 2008年4月19日 (土) 15時19分