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#64 朝の地下鉄

こうして始まった、あたしのニューヨーク生活。

サムのアパートに通って、まずはベーグルづくりを学ぶ。そのためには、多少不便なことや肉体的にキツいことはがまんしなくちゃ。

六時起床。六時十五分には家を出る。
駅前のデリでコーヒーとベーグルを買ってかじりながら、地下鉄に乗る。
ほんもののニューヨーカーになったみたいで、ちょっとわくわくする。

「って、あんたやたらさわやかそうなんだけど。いいよなあ。こっちは早起きなれてないってのに、ったく」

と、地下鉄に揺られながら、隣で大あくびを連発する松井。
なんと松井は、毎朝あたしを、サムのアパートまで送ってくれているのだ。

このありがたくもとんでもない申し出を松井がしてくれたとき、さすがにあたしは遠慮した。
「いやいやいやいや、いいよいいよいいよ。だって六時起きだよ? そんなのに毎朝つき合わせるなんてできないよ。だって別に、あたしたち・・・・・・」

つきあってるわけでもないのに。
そう言いかけて、あわてて飲み込んだ。

「別にあたし、ただの居候だし、そこまで面倒見てもらうわけにはいかないから」

「わかってねえなあ、やっぱ」
ため息混じりに松井が言うので、あたしはどきっとしてしまった。

わかってねえなあ。おれの気持ち・・・・・・

そんなふうに聞こえてしまって、どぎまぎする。
あたしがミョーに赤くなるのをまったく意に介さずに、松井が続けた。

「サムのアパートのある地域が、どんだけ危険か。まえ話しただろ? 6時台ったら、この辺はまだ暗いぜ。夜中と一緒で、明け方ってのは犯罪が多発する時間帯だし。昼間ならともかく、ひとりで行かせるわけにはいかないよ」

そ、そうなのか・・・・・・
やっぱり日本とは、かなり事情が違うんだ。

あたしは複雑な気分になった。
これは「修行」なんだから、サムの言うとおり、多少厳しいことがあるのは覚悟している。でも、そのために松井まで巻きこんでしまうなんて。

「ごめん。松井の大事な時間を、あたしなんかのために・・・・・・」
あたしはただ、あやまるほかなかった。
松井はくすっと笑って、
「まあね。実はおれも、興味あるんだ」
と白状した。

「どんなふうにサムのベーグルができるのか。そのプロセスを見せてもらうのは、おれ自身の勉強にもなるし。あれだけのすごい結果を出してる仕事なんだ、特別な仕掛けがあるに決まってる。そこんとこ、見せてもらいたいんだ」

それに、ただでさえデザイナーは時間がめちゃくちゃだから、これを機会に早寝早起きを心がける、と断然張り切っている。
あたしはなんだか、ほっとした。
でもって、なんだか、嬉しくなった。
押しつけがましくなく、かつあたしに気をつかわせないように。
松井はなかなか、やさしいやつなんだ。

「あ、わかった。サムのベーグル、一番乗りで食べるつもりでしょ?」
照れ隠しに、ちょっと茶化してみる。
「うん。それが一番、大事かも」
と、松井は正直に返した。

やっぱそれが本音か・・・・・・

そんなわけで、松井とあたし、地下鉄の車内に並んで座っている。

松井は「ニューヨークタイムス」を隅から隅まで読んで、「松井の打率が上がってきた!」とか、「イチローはきのうダメだったかあ」などと、スポーツ面で一喜一憂している。

あたしはベーグルをかじって、「このデリのブルーベリーベーグルは、けっこういいかも」とか、「コーヒーはわりと濃くいれてるんだよねえ」とか、つぶやく。

あたしたちの会話は、お互い別々の話題でも、なんだかうまく溶け合っている気がする。

ああ、いまあたし、ほんとにニューヨークに暮らしてるんだ。

そんなふうに感じられる朝の地下鉄が、あたしは大好きになった。

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コメント

勝手な私の想像だけど松井って「大○ 洋」っぽぃ感じで 読んでますbook

投稿: こと。 | 2008年4月20日 (日) 01時15分

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