« #64 朝の地下鉄 | トップページ | #66 メール »

#65 サムのベーグル

さて、いよいよサムのベーグルづくりが始まる。

ずっと観たかった映画が始まる。
ずっと聴きたかったアーティストの新譜が流れる瞬間。
ずっと読みたかった本の1ページ目を開く。
そんな気持ちで、ワクワクと、あたしはサムの横に立った。
あたしのワクワクが伝わるみたいに、松井もそわそわしてる。

「さて、まずは・・・・・・」
と、サムは材料に手をかけようとして、
「ちょっと待った。ナツキ、そりゃいったいなんだ?」

あたしは出鼻をくじかれて、サムを見上げた。
「え? こ、これ? えーと、ノートとペン、デジカメ、ボイスレコーダー・・・・・・」
サムは困りきった顔になった。
「おいおい、学校の講義じゃないんだぞ。記録してどうするんだ。職人を目指すなら、頭でっかちにならずに心と体で覚えるんだ。いいね?」

そう言われて、しょんぼりしたのは松井だった。あたしのほうはニヤッとしてしまった。だって記録グッズは全部松井に持たされたんだもん。

あたしは記録グッズをトートバッグに放り込むと、「はい!師匠」と、大きな笑顔を作って見せた。サムは「それでよし」というふうに、うなずいた。

強力粉と、塩と砂糖、ドライイーストを、ボウルの中で軽くかき混ぜる。粉とお湯を少しずつ混ぜ合わせ・・・・・・

こねる。

うわっ、すご。台の上で、サムはがっがっがっ、ぐっぐっぐっと生地を勢いよくこねた。すごい迫力。ほとんど格闘技だ・・・・・・

「こうやって、生地に愛をこめるんだよ、ハニー」
いや、私には憎しみをぶつけているように見えるんですが・・・・・・

「さあ、ナツキもやって。ヒデキ、君もだ」
「え? おれも?」
「三人分の愛情をこめたほうが生地も膨らむだろ。むっちむちのグラマラスなベーグルに仕上げなきゃ」

グ、グラマラス・・・・・・あたしとま逆ってことか・・・・・・

急きょ松井もサムのエプロンをつけた。
おっ、なかなか似合ってるじゃん?

しばらくは三人で、ベーグル相手に大奮闘した。
松井は手の甲で汗をぬぐって、顔を粉だらけにしてる。
ふふっ。なんだか、かわいい。

それからサムは、棒状に分割した生地を、器用な手つきで輪っかにしていった。みるみるうちに、「ベーグル・サム」のベーグルの原型ができていく。
わあ、と思わず声を上げる。

輪っかになったベーグルの生地は、全部同じように見えて、ひとつひとつに個性がある感じがする。
あたしもサムの見よう見まねで、丸めてみた。

「あれ? 松井、やんないの?」
松井はあわてて首を振った。
「いや、こっから先はサムの聖域だから」
確かに。
あたしも自分で作るより、とにかくサムの作業を見ていたかった。ほとんど芸術的な手さばきを。

発酵させる準備が整った。

「さて、ベンチタイムだ」
サムは手を洗うと、おもむろにリビングへ出ていった。とたんに軽快なトランペットとピアノの音が、大音量で聞こえてくる。
サムが、ジャズのCDをかけたのだ。
あたしは飛び上がりそうになった。

「うわっ・・・・・・サム、これ大丈夫? 音大きすぎない?」
「何言ってるんだハニー? ブロンクスの住人はこれっぽっちの音じゃびくともしないさ」

あたしと松井は、顔を見合わせて笑った。
「なるほど。ここじゃ、パトカーは呼ばれないんだ」
あたしがくすくす笑いながら言うと、
「もっとコワいことがない限りはね」
松井がブラックなことを言う。

「うちのベーグルは、こうして発酵するときにジャズを聞かせてやるのさ。ニューヨークで録音した、とびきりクールなやつをね」
そう言ってサムはウインクした。

へえ、そうだったんだ。

ニューヨークで一番クールなベーグルになるように、ジャズを聞かせる。

まさに、サムならではの隠し味だった。

|

« #64 朝の地下鉄 | トップページ | #66 メール »

コメント

サムの やゎらかい言葉、隠∪味のJazznoteあったかい 愛情いっぱい詰め込まれてるベーグル…どおりで 人を引き付けるほどのベーグルが出来上がるんですネclover

投稿: こと。 | 2008年4月23日 (水) 02時10分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« #64 朝の地下鉄 | トップページ | #66 メール »