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#76 この気持ち

夏の日差しにきらめく緑の木々。
ランチまえの、少しだけ静かな時間。芝生には、子供連れのベビーシッターや学生たちが、いつもどおり思い思いにくつろいでいる。

ブライアント・パークはニューヨーク市が管轄している公園で、許可なくして物売りはできない。サムは、苦労して許可を取ったのに、たった一度のクレームで営業停止を余儀なくされた。今回、アンドリューや松井が奔走してくれて、ようやく営業再開の許可を得たのだ。

ニューヨークはすべての人々に寛大だけれど、同時に厳しい。それが現実なのだ。

「だけど、負けずに再チャレンジする人を、応援する。それが本当の、ニューヨークなんだ」

ゆうべ、緊張のあまりなかなか寝つけずにキッチンでうろうろしていたあたしに、松井がそんな話をしてくれた。

「サムは黒人だし別に金持ちでもない。正直、ハンディキャップはある。でもそれを乗り越えて何かやろうとする人に、アメリカ人はエールを送るんだよ。アメリカ人ってのは、大ざっぱで調子のいいとこもあるけど、前向きで一生懸命なやつをとにかく応援するんだ」

だからおれはこの国が好きなんだ、と松井は言っていた。

その言葉に、あたしがどれだけ励まされたか。

確かにサムにはハンディキャップがある。でも、あたしのほうがもっとある。

日本人のコムスメ。金なし、コネなし、男なし。って考えただけで情けなくなる。

だけど、前向きで、一生懸命っていうのは、誰にも負けない。だって、それしかないんだし。

松井は、あたしに言わなかった。大丈夫だよ、とも、がんばれよ、とも。

そのかわり、ひと言だけ、言ってくれた。

「やってみろよ」

あたしは大きくうなずいて、答えた。

「うん。やってみる!」


そんなゆうべの会話を心の中で反芻する。

あたしの少し前を、ゴロゴロとカートを引っぱって歩く、松井の背中。

あたしはこの人と、ここで出会った。

それからずっと、どうしてだかわからないけど、気がつくといつも、助けられてる。
そしてこの街に来てからは、いつもそばにいてくれる。
すごく、自然に。

あたしは松井の大きな背中、出会ったときと同じく「55」と背番号の入った紺色のTシャツを、じっとみつめていた。
不思議な気持ちが、あたしをいっぱいに満たしている。

この背中に・・・・・・
これからも、ずっとついていきたい。

「ハーイ、ナツキ。ヒデキ、ここよ~」

一番大きな木の下で、アンドリューの秘書、レベッカが手を挙げて合図する。ベストポジションを確保しておいてくれたのだ。

あたしは、大きく手を振り返した。

「レベッカ~! とうとう、ここまで来たよお!」

「おおっ、なんてこった。見てみろよ、ナツキ」
サムが遠くを指差して笑い出した。その先には、アンドリューの会社が入っているビルが
あった。

『祝◎サムとナツキのベーグル オープン◎』

横断幕が、下がっている。しかも異様に達筆な筆書きの日本語で。

「あーあもう。やめとけって言ったのに」
松井はあきれて笑っている。あたしもレベッカも、つられて大笑いになった。

楽しそうなあたしたちを見て、通り過ぎる人たちが、何事かと眺めている。

さあ、いよいよ店開き。

松井と並んで、ひとつひとつ、ベーグルをディスプレイボックスに入れ替えながら、あたしはふいに気がついた。

さっきからずっとあたしの中をいっぱいにしている、この気持ち。
ううん、違う。この気持ちは、けっこうまえから、とっくの昔から、あたしの中にあったんだ。

この気持ちがあったから、あたしはここまで・・・・・・来れたんだ。

いま、わかった。

あたしは、松井が・・・・・・
・・・・・・好きなんだ。
この人のことが大好きで、ここまで来たんだ。

そう気がついた。

そしたら、なんだか急に、涙がこみ上げてきた。
松井の呼吸や、笑い声や、すぐ近くの体温が、不思議なくらい、せつなく迫ってくる。

へんなの、あたし。
こんなことで、涙が出るなんて。
こんなことが、こんなに嬉しいなんて。
松井が好きだ、ってわかっただけで。

涙を飲み込んで、一生懸命にベーグルを並べながら、あたしは自分にこっそり誓う。

決めた。あたしの、次のステップ。

いつか、きっと告げよう。
この気持ちを、この人に。

この場所で。

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コメント

ナツキの素直な気持ちがいいですっ
ちょっと涙ぐんじゃいましたsweat01

いつかブライアントパークで。

ベーグルを食べたくなった後は、ブライアントパークへ行ってみたくなってきてますっ
(一番最高なのはブライアントパークでベーグルを食べるってやつです/笑)

投稿: リコノコ | 2008年5月30日 (金) 11時19分

久々にコメント入れます。毎回コメしてて「はっ…他の方々も見てたんだsign03」と気付いてコメを遠慮してました。でも毎回読んでてドキドキしてました。夏輝がマツイを好きなのは皆さん お見通しでnote私がちょっぴり思った事…「もしマツイからいい返事もらえなくてもベーグルに対する気持ちは変わらないのよね…?大丈夫よね?」

投稿: ふわ | 2008年6月 2日 (月) 01時22分

面白くて、ついつい一気読みしてしまいました。


ありがとう。

僕も茨城出身なんで親近感もありますが…それ以上にスピーディーかつワクワクする構成に、心が踊りました。
久々に本当に楽しくてワクワクする心地よい時を過ごしました。

投稿: ふみよん | 2008年8月25日 (月) 09時05分

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