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#79 東京で?

それからの数ヶ月。

ゆっくりと、着実に、あたしたちの世界最小のベーグルショップ「サムとナツキのベーグル」は、ブライアント・パークに、そしてニューヨーカーたちの間に浸透していった。

それは、とてもすてきな広がり方だった。
最初のうちはアンドリューが「CNNにCMを打つ」とか、「Goo●leに協力してもらって全米のブロガーを買収する」とか、冗談とも本気ともつかないことを言って騒いでいた。
でも、そんなやり方は、あたしたちらしくない。

ほんとうに「おいしい」と感じ入ってくれた人が、またもう一度、買いにきてくれるのがいい。
心から「好きだ」と思ってくれた人が、それを誰かに伝えてくれればいい。
そんなふうに、この街に暮らす人の印象に優しく残って、心にそっととどまるのがいい。

そんなふうに、広がってくれれば。

「そんな悠長なこと言ってたら、世界に広がっていかないだろ」
と、アンドリューは、国取り合戦の気分が抜けきれないようだ。

王子の心配をよそに、あたしたちのベーグルの噂は、どんどんマンハッタンに広がっていった。

「驚いた。今朝、私が出勤するときに、もうベーグル待ちの行列ができてたわよ」
レベッカが電話で報告してくる。
オーブンにどんどんベーグルを滑り込ませながら、サムとあたしは思わず手と手をぱちん、と合わせる。

「さあどんどん焼くぞ。今日は『トウキョウ』100個に挑戦だ!」
「了解です師匠!」

あたしはその夏、本気で日焼けした。正確には、オーブン焼けと公園焼けの混合焼けで、真っ黒になってしまった。
日焼け止めなんか、汗ですぐ落ちる。おしゃれなんか、当然してられない。結構、女子としては代官山時代以上になさけない。

こんなあたしは、いったい、松井の目にはどんなふうに映っているんだろう。

松井とあたしの関係は、ベーグルショップをオープンしてからも、何一つ変わらない。

あいかわらず、朝6時起きであたしに付き添って、ブロンクスのサムのアパートまで通っている。

地下鉄のシートに腰掛けて、「ニューヨークタイムズ」で大リーグ情報を読んで、勝った負けたと騒いでいる。

あたしの作った「トウキョウ」を、毎朝いちばんに、二個予約する。ジーンズのポケットから、皺くちゃの5ドル札を出して、あたしに渡す。
「いいよいいよ」
と言って、受け取らないものなら、まじに怒り出す。
「そういうのは、だめだ。これはこれ、それはそれ」
そんなふうに言って、あたしの手にお札を握らせる。
おかげで毎朝、ほんの一瞬触れ合う手と手に、あたしはどぎまぎするはめになる。

こんな感じが、いいな。

あいつと、あたし。
ドラマチックな進展がなくたって、「好きだ」って抱きしめられなくたって。

こんなふうに、ちょっとだけ気持ちのいい距離感があって。
言葉にはできなくても、心だけ寄り添わせる。
そんなのが、いい。

だけど、もしも。

松井に好きな女の子ができたら、あたしはそれをすんなり受け止められるかな。

それはちょっと・・・・・・いや、かなり・・・・・・ううん、ぜったい、いやだッ!!

ブライアント・パークの木々が黄金色に輝き始める季節。
あたしたちのベーグルショップは、マンハッタンの人たちにあたたかく受け入れられ、定着した。

常連さんも増えた。
同僚の分まで買出しにくるビジネスマン、新しいベーグルのアイデアあれこれ持ちかけるマーサ・スチュアートみたいな主婦、毎週カントリーソングを近くで奏でる学生。
そして、けっこう増えた「トウキョウマニア」な人たち。

「ヤキソバベーグルがすっごい好評なんだ。東京で売り出しても、いけるかも」

週に一回、父に電話をするとき、あたしはいつも「トウキョウ」の話を持ち出した。

「ニューヨークで売ってる『トウキョウ』ねえ。おもしろいもんだな」

父は楽しそうに応える。製パン工場での仕事にも慣れて、それなりに充実して働いているみたいだ。

「お父さんの工場でも、作ってみたら?」
そう持ちかけると、
「いや、おれは商品開発に口を出せる立場じゃないし。それに、そんなにヒットしてるんなら、いつかこっちに持って帰れよ。お前自身で」
そんなふうに言う。

東京で、トウキョウかあ。

あたしはなんだか、夢みてる気分になる。

いつか、ブライアント・パークで、世界一のベーグルを売る。
そう思い続けて、サムの努力と仲間の協力もあって、とうとう実現した。

いつか、東京で、自分が作ったベーグルを売る日がくるのかな。

そんなふうに思って、ちょっと愉快になった。

それが現実になるなんて、そんなにたやすく想像はしなかったんだけど。

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コメント

夢に見てたブライアントパークでの夏輝のベーグルが今やニューヨーカーに受け入れられ 話の展開に嬉しさとドキドキ感が入り交じってますshine同時に松井の事も上昇気流に乗れれば 夏輝 ゆうことないsign03でも この どちらともつかずの距離感の居心地さ 分かります

投稿: ふわこ。 | 2008年6月12日 (木) 00時22分

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