#81 きっと、いつか
黒くて異様に長いストレッチ・リムジンが、JFK国際空港に到着した。
「いやあ、こんなセレブな車、生まれて初めて乗ったけど、なかなかいいもんだなあ。気分はマイケル・ジャクソンだ」
上機嫌でサムが車から出てくる。もちろん、あたしだって生まれて初めてだ。さしずめ気分はパリス・ヒルトンってとこかな。
「『凱旋』して帰ってきたときは、ご希望とあればもっとすごいクルマを手配するよ」
サムに続いて出てきたアンドリューが、楽しそうに言う。まったく、馬車でも用意しかねないなこの人は・・・・・・
「私もこっちの仕事が片付いたら、日本へすぐ飛ぶから。あ、レナからもメールが来てたな。君たちの迎えの車、成田に着けとくって・・・・・・日本での会議のアレンジメントも全部彼女がやってくれて、助かるよ」
アンドリューは、やっぱり新しい冒険でも始まるみたいな口調で、わくわくと言った。
そうなのだ。日本で、怜奈があたしたちを待っている。
あたしたちの新しいプロジェクトを支えるべく。
アンドリューの会社は、今年初めに怜奈のお父さんの会社を破格の好条件で買収し、去年買収したF社と合併させた。
それによって、新しいスーパーの形態―飲食テナントが充実した新型スーパーマーケット―を実現させようとしていた。
その新会社に、なんと怜奈がプロジェクトリーダーとして採用されたのだ。もちろん、アンドリューの采配で。
そしてなんとなんと、私の父までが、引き抜かれたのだった。ベーカリー部門商品開発マネージャーとして。
さすが王子。その後光は関係者の子々孫々(ってか親だけど)まで及ぶという・・・・・・
サムとあたしは・・・・・・というと、特にその新会社と何かをする、ってわけじゃない。
もちろん、アンドリューは「資金の協力をする」「東京に店舗を出す場所を確保する」などなど、色々に言ってくれた。
だけど、あたしとサムは、「じゃあ、いずれ将来的に」と約束をして、まずは自分たちで始めてみることにした。
そう―あたしたちの「◎」が、東京でどのくらい通用するのか、まずは自分たちで試してみたいのだ。
ブライアント・パークでの売り上げ貯金で、あたしたちは小さなワゴン車を買って、そこにオーブンを備え付けて、移動式ショップを始めてみることにした。
車や場所のリサーチは、すでに怜奈とややちゃんが開始してくれている(ややちゃんは、デイリー・ベーグルを辞めてそっち手伝うから!と言ってくれている)。
そして、まずは代官山の西郷山公園の横あたりから、始めてみたいと思っている。
あたしたちの、新しい挑戦。
ニューヨークと、ここで出会ったたくさんの人たちとしばらく別れるのは、とても寂しい。
でも、きっとまた帰ってくる。そのときは、アンドリューが言う通り「凱旋」だ。
出発ロビーで、あたしはきょろきょろ頭を巡らせた。そして、人混みの中、必死に目を泳がせた。
あたしが探していたのは、背番号55。
来てくれないの?
松井秀喜。
きのう、ブライアント・パークで別れ際に「今夜は徹夜で仕事になるかも」と言っていた。あたしは最後に、いっぱいいっぱい、話がしたかった。
そしてもしも、一瞬でも勇気が湧いたなら、その瞬間を逃さず、告げよう、と心に決めていた。
好き、とひと言。
一晩中、どきどきして待った。けれど、何時になっても、朝になっても、結局松井は帰ってこなかった。
あたしは、ちょっとだけ神様を恨んだ。
こんなにまじにどきどきして待ってたのに。ひどいよ神様、って。
でも、すぐに思い返した。
いや、違う。これは、また帰ってこい、っていう神様のはからいなんだ。
もう一度、この懐かしい街に帰ってこれたら。
それが、そのときなんだ。
「あれ。あそこにいるの、ヒデキじゃない?」
レベッカが、人混みの向こうを指差した。あたしは夢から覚めたみたいに、レベッカのブロンズのネイルが指す先を見た。
いた。あいつだ。
松井がベーグルスタンドに立って、ベーグルをかじっている。あたしたちをみつけて、軽く手を挙げて合図している。
サムとアンドリューは、一緒に笑い出した。
「ったく。この期に及んでベーグル食べてるのか、お前は」
アンドリューがさもおかしそうに言う。
松井は食べかけのシナモンベーグルを一気食いして、「これ、なかなかうまいぞ」と言った。
いつも通りだ。まったく、いつも通りの松井。
ひょうひょうとして、ちょっととぼけて、楽しげな、背番号55。
「来て、くれたんだ・・・・・・」
あたしはようやく、そう言った。
嬉しかった。涙が出るほど。
松井はあたしをじっと見ていたが、茶色い紙袋をあたしに向かって、ほら、と差し出した。
「飛行機の中で食えよ」
あたしは黙って、紙袋を受け取った。
ほんのりと、あったかい。あたしはそれを、胸にぎゅっと抱いた。
「ありがとう」
そうつぶやくのが、せいいっぱいだった。
松井は、ふっと笑顔になった。
口もとに、パンくずがついている。あたしは、ぷっと噴き出した。
「なんだよ。人の顔みて何笑ってんだよ」
なぜだかあたしは、笑いが止まらなくなった。笑いすぎて、泣き出しそうだった。
ほんと、キマんないやつ。
最後まで、デリカシーのないやつ。
どこまでも、あったかくて、大きいやつ。
やっぱり、あたしは、この人が・・・・・・
・・・・・・・大好きだ。世界で、いちばん。
もうどれくらい、飛んだだろうか。
照明を消したキャビン、あたしの隣で、サムはすやすやと眠っている。大きな体を狭いシートに突っ込むようにして、だけど不思議なくらい平穏な寝顔で。
初めてニューヨークへ行ったときのことを、あたしはふいに思い出す。
確かあのとき、あたしはすっかり興奮して、ちっとも眠れなかったんだ。
そうして着いたニューヨークで、あたしはブライアント・パークにたどりついた。
そして、出会ったんだ。
サムに、アンドリューに・・・・・・松井に。
こっそり、茶色の紙袋を取り出す。がさごそ、開けてみる。
プレーンベーグルが、ひとつ、入っていた。取り出してみる。
半分にスライスされたベーグル。真ん中に、紙ナプキンが挟まっている。
あれ・・・・・・?
ナプキンには「◎」が印刷されている。その横に、走り書きがある。
ちゃんと帰ってこい
ブライアント・パークに、
じゃなくて
おれのところに。
ほんのり、バターの香りがあたしを包む。
こぼれそうになった涙を、あたしはあわてて飲み込んだ。
東京に着いたら、すぐに電話をしよう。
あのね松井。言いそびれたひと言が、あるんだ。
だからそれを告げるために、あたし帰るから。
そのひと言を、あなたにきっと告げるから。
それが、そんなに遠くない未来でありますように。
きっと、いつか・・・・・・ブライアント・パークで。
◎END◎
| 固定リンク







コメント
ぉよよよよ~

と思いました。
(´Д`;)泣けてきました
そーきましたか 松井
うん やっぱ こーでなくちゃ
東京で うんとうんと頑張って早く松井の元に
投稿: ふわこ。 | 2008年6月17日 (火) 16時43分
いつかブライアントパークで…!
う~!!
いいお話でした!
松井…!最後までしれっとしてにくいヤツめw
長い間楽しまさせて貰いました
サムとナツキ、松井に幸あれ!
投稿: リコノコ | 2008年6月17日 (火) 18時27分
毎週火曜日と金曜日がとても楽しみでした。
終わっちゃったんですね~。
残念ですが、ラスト、とても暖かい気持ちになれました。
書籍化の予定とかはないのでしょうか。
もし書籍化されたら絶対に買いたいです。
投稿: | 2008年6月17日 (火) 18時53分
はじめまして。
始まった当初からずーっと読んでました。
すっごい、すっごい好きなお話で、毎回更新が楽しみでした。
大好きなお話は、終わりの予感が近づくととっても切なくて、一生終わって欲しくない気持ちになりますが、この作品もまさにそれでした。
◎END◎の文字列が切なくてたまりません。それほど大好きなお話でした。
素敵なときめきを、どうもありがとうございました。
あー。結局マツイ、かっこいいですね。
投稿: なぎさ | 2008年6月17日 (火) 18時54分
すっごい楽しかったです
チャレンジ
チャレンジ
していったから夏輝はなんでもプラスに考えられるようになったんですね。
東京でもばっちりやれるって感じです
最後はいい風ふいてました
投稿: めぐ | 2008年6月17日 (火) 20時33分
原田マハです。「いつか、ブライアントパークで」お読みいただいた皆様、長い間応援ありがとうございました!
ニューヨークに住んでいたとき、いちばん大好きだった場所・ブライアントパークを舞台に、心があったかくなる物語を書きたいと思い、連載を始めました。
書き進めながら、毎回ニューヨークのベーグルが食べたくて食べたくて困りました。担当編集のNさんが、気を利かせて差し入れしてくれたこともありました。
ニューヨークはいろいろな人種が住み、さまざまな問題を抱え、光と闇の両方を併せ持つ街です。けれど、もっとも単純なことーひなたぼっこしながらベーグルを食べるーを、日々大切に、変わらずに続けている人間的な街でもあります。夏輝のように、私にとっても、大好きな憧れの場所であることは、この先変わることはないでしょう。
応援してくださった方々も、いつかあの場所に行きたい!という目標の場所を持ってみてください。ニューヨークでも、沖縄でも、田舎でも、隣町でもいい。その場所へ向かう気持ちが、きっと人生を豊かにしてくれるはずです。
ご愛読ありがとうございました。
投稿: 原田マハ | 2008年6月18日 (水) 10時15分
◎
投稿: セレンディピティ | 2008年6月18日 (水) 14時41分
◎
投稿: セレンディピティ | 2008年6月18日 (水) 14時41分
とても面白かったです! 読み終えて、私も無性にべーグルが食べたくなりました
◎の…
投稿: ギレンヌ | 2008年6月19日 (木) 02時53分
読み終えた後、温かい感情で胸がいっぱいでした。
言葉を失ったようにただ感動し、涙が出ました。
こんなに「終わって欲しくない!」って思った小説は初めて。
物語の終わりが来ることに怯えながらも、読み初めた手を止めることはできませんでした。
こんな暖かい物語に、この物語と偶然出会った幸運に、感謝します。
ありがとうございました。
投稿: AGURO | 2008年6月19日 (木) 21時28分
毎回とても楽しみに読んでいました。
素敵な小説に出会えて本当に良かった。
幸せなきもちになりました!
投稿: ハニー | 2008年6月20日 (金) 00時30分
すっごい楽しかったです!!!!!!
この小説を読んだ日はベーグルを食べに行くことが多くなって、こんなに影響された小説は初めてです(*´艸`)
私もブライアントパークみたいな場所を早く見つけたいなぁ―♪♪♪
投稿: ら―子 | 2008年6月20日 (金) 11時43分
勉強の合間に息抜きがてら読み始めたら、止まらなくなっちゃいました。
すっごく面白かったです!
夏輝と一緒にドキドキして、わくわくして、次はどうなるんだろうって楽しみで。
自分のブログに紹介したい
ひさしぶりにこんな素敵な小説に出会いました
ありがとうございました◎
投稿: きりん | 2008年9月26日 (金) 19時28分
面白かったです!
読み初めたら止まらなくなり、一気に読み進めてしまいました。
私もナツキと一緒にニューヨークを走り回っているような、そんな暖かい気持ちになりました。
東京、ニューヨークのそれぞれで夢や目標を叶えながら、みんな歩き続けている気がします。
最後まで、素敵な時間をありがとうございました☆
ナツキがマツイへ送る言葉の様子が目に浮かびます…
投稿: さと | 2008年10月 4日 (土) 01時13分
原田マハさんの物語は、この世界の出来事なのに全く別の世界の出来事のような、でも親近感があって“すっ”と入っていけるお話だと感じています。春休みや夏休みの始まりのようなウキウキした気持ちで現実逃避させてくれます。
あたしにも夏輝にとってのブライアントパークのような場所があります。大切さを再認識させてくれてありがとうございました。ニューヨークもベーグルも好きになりました。
先週は上海に行って美術作品を見たくなりました。
ラブラドールも好きだし与那喜島にも行きたいです。
独特の世界観をこれからもどんどん見せてください。
投稿: スヌーピー | 2008年10月10日 (金) 20時44分
「カフーを待ちわびて」を読ませて頂き、原田さんの小説や世界観に興味を持ち、こちらにたどり着きました。「いつかブライアント・パークで」も一気に読んでしまいました。カフー・・・もいつか・・・も、読んでいる途中も読み終わった後も、とても幸せな暖かい気持ちにさせてもらえるお話しでした。悲しいニュースや悲惨な出来事が多い世の中で、夢や希望の大切さと、自分がキラキラしたものが大好きなんだということを改めて感じました。
あきらめて止まってしまったら何も変わりません。動き続けていることできっと輝き続けることが出来るのかな。。。と思っています。私もキラキラ輝ける人生を生きたいと決意を新たにしました。
ありがとうございました。新たなステキな作品を楽しみにしています。
投稿: ロミ☆ | 2008年11月14日 (金) 16時40分
最近読んだ小説で一番良かったです。
私は有川浩さんの恋愛モノみたいなハッピーな小説が好きなので、この小説も大のお気に入りになりました。
ナツキやマツイの言葉にじわっと涙が滲んだりしました。
ナツキのどんどん突き進んで成功させる姿を見て、あたしも何かをやらかしたい!ッて思いました。
もし続編が出たり、本になったりしたら絶対読みます。
こんなにこんなにハッピーな小説を書いてくださってありがとうございました。
投稿: ちぃ | 2008年12月17日 (水) 17時44分
最高でした!
初めから最後まで、ぐいぐいストーリーの中に引き込まれて、無我夢中で読みました。だけど、終わりが近づくにつれて、寂しさもこみ上げてきたりして。。。
夏輝の自分らしく生きる姿、松井の強くて優しい男らしさ、何をとっても最高の物語でした。書籍化することを心から願っています。
ありがとうございました。
投稿: KAZU | 2009年1月10日 (土) 15時54分
ようやく今日読み終えました。面白かったです。どこまで行っても夏輝のブライアント・パークでのドキドキが必ずついてきました。次作もまた読みたいと思っています。
投稿: きめねこ | 2009年1月26日 (月) 03時04分